shiteraretariのブログ

鯱(シャチ)十兵衛の日本のこと

民進党の国会討論を見て

 民進党という党について思うことは色々あるが国会討論を拝見する限りにおいては、まるで別の国の人かのようにイライラし叫んでいる、そういう印象だ。イライラするからには理由があるのだろうが、どうしてそんなにイライラとした場面をテレビに見せたいのか?不思議でならない。ついこの間も南スーダンへの自衛隊派遣の問題で隊員の方の日誌から戦闘があったとの記載があったことを廻り同党の党員の方と稲田防衛大臣のやりとりが注目された。党員は稲田防衛大臣に戦闘はあったのか?と迫り、稲田氏は「戦闘」とは定義の言語のためとして、「戦闘があった。」と言わせたい議員に対しあくまで定義としての戦闘では無い事柄があったと防戦した。党員はイライラし質問を変え「それでは一般としての戦闘というものは起きたのか?」と聞いたの対し稲田氏は、「これは重要なやりとりだからと定義における戦闘では無く暴動等があった。」という表現を変えようとしなかった。党員は「質問に答えてない!これでは次の質問は出来ない!」と押し黙り緊張を誇張した。民進党が後日マスコミが稲田氏の発言を切り取り易いように言わせる作戦なのだ。これは政治家のやる事なのだろうか?日頃まじめに働いている国民がこの討論を見てどう思うかが民進党の人たちにはわからないようだ。要するに自衛隊を戦闘の無いことを条件に派遣したにもかかわらず戦闘は起きたではないか!それを隠すとはどういうことか?と言いたいわけだが、もちろん自衛隊の方たちが皆戦闘を望んでいるわけではない。しかしながら考えて頂きたいのだが自衛隊に徴兵された人など一人もいないのだ。自らこの国を守るために志願した方たちなのだ。もちろん中には、外国を助けるために危険を冒すような目的で自衛隊に入ったのでは無いと思う方々も居るのだろうが、それはかなり古い考えとしか思えず、むしろ危険な状態の人を助けてあげたい!という気持ちも無い人は自衛隊員には向かないと思います。この国では警察や消防の方々など危険な仕事についている人がたくさん居る、しかしほとんどが志願者だと理解している。もし外国の大使館が火事にあったら民進党は助けなくて良い!と言うのか。自衛隊は過酷な訓練により優れた精神と能力を持ち特に活躍される彼らの勇士は一般の国民からも、世界からも評価され尊敬され愛されています。そのトップに立つ稲田防衛大臣に対し君たちは何様のつもりで強要しているのだろう?戦闘があっても無くても戦闘という言葉は定義のある言葉だからと答えているのに、では民進党に聞きたいが、あなた方は、一般に言う前回駄目だった党で良いのか?自分の口で答えてもらいたい!また安倍首相に対して暴言のような口の聞き方は止めるべきであろう!一国の総理に対して失礼すぎる。テレビを通して乱暴に振る舞う行為は日本人がそういう民族かのように演出したいのだろうか?おそらく民進党の方々が常にイライラし叫んでいるのは、思うようにならないからでしょうが、党を立て直したいなら焦らずにもう少し民心に耳を傾けるべきではないですか?